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サードウェーブ系哲学的ゾンビ

知る。考える。感じる。想像する。

米国大統領選における、共和党・トランプ氏と民主党・サンダース氏という《両極》の台頭について

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最近、米国大統領選における《異常》が気になっている。 その中で、下記の記事を読んだ。

www.huffingtonpost.jp

以下、引用。

  • 理解の補助のために、赤色の文字は共和党を、青色の文字は民主党を表しています。

共和党・トランプ氏について

ロッシさんは、権威主義的で外国人嫌いのニューヨークの億万長者であるトランプ氏がなぜ政治的に台頭したのか、私がこれまで聞いたことのない最も優れた説明をしてくれた。

「この国は浣腸を必要としています。この世界は浣腸を必要としています」

ロッシさんは、1989年の映画「バットマン」の中で、ジャック・ニコルソンが演じたジョーカーの有名な台詞「この街には浣腸が必要だ」をなぞったのだった。

「私たちはあらゆることを一新する必要があります。政治と政治家が、あらゆることを駄目にしてきました。世界の誰も私たちを尊敬していません。トランプは人々の心にあることを述べ、実行力があります。彼はビジネス支援の仕方を知っている企業家です」

つまり、トランプ氏は、ニューヨーク市民も他の町から来たよそ者も怖がらせるジョーカーなのだ。

参考: バットマン (映画) - Wikipedia

  • 「ジョーカー」とは、ゴッサムの裏社会を牛耳るマフィアの一員「ジャック・ネーピア」の別名であり、“笑う殺人鬼”となる敵役。

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民主党・サンダース氏について

つまり、サンダース氏という74歳の「民主社会主義者」なのだ。

「税金は上がってほしくありませんが、億万長者の人たちには本当の公平な負担をして欲しいと思っています。それがバーニー(注:サンダース氏)の言っていることです。私はローン返済と医療、息子の教育費のための支援を必要としています。それらなしではシングルマザーにも扶養者にもなることはできません。バーニーのように勇気のある政治家は他にはいません」

つまり、サンダース氏はロビン・フッドなのだ。ウォール街の億万長者のシャーウッドの森から取り立てて、苦労しているアメリカ人に分け与える。

参考: ロビン・フッド - Wikipedia

私論

以下、上記記事を元にした私の解釈です。


おそらく、こういうことだと思う。

従来の共和党の志向《グローバル資本主義》の結果が、「アメリカの製造業の給料の低下」「仕事の海外流出」を生んだ。資本主義のハッピー・エンドである「アメリカン・ドリーム」は幻となった。

「我々アメリカ人は、外国に何もかも奪われた!」

従来の民主党の志向《リベラル多国籍社会》は、貧富の格差の中で国民が苦しんでいる中で、パリ同時多発テロ事件と大量の移民による一撃により、その「幻想」が打ち砕かれた。リベラリズムのハッピー・エンドである「The world will live as one (世界はひとつ)」(ジョン・レノン『Imagine』)は幻となった。

「我々アメリカ人は、他人に構っていられるほど余裕が無い!」


ところで、私はリベラリストを自称している。リベラリストであるなら、この状況で「アメリカ国民が本音で何を思っているか」に耳を傾けるべきだろう。

なぜなら、リベラリストは「他人に寛容である」ことを信条としているから*1。キリスト教風に言えば「あなたの敵を愛しなさい」。これがリベラルの精神だと同意してくれるのならば、外国や異文化、非白人に敵意をむき出しにする人々(特にトランプ支持者)に耳を傾けるべきだろう。


注: ここで《寛容であること》には「寛容のパラドックス」が発生することに気を付けたい。

簡単に言えば、「お前はもっと他人の意見に寛容になるべきだ」ということが、すでに「寛容になれない」あるいは「寛容的である必要はない」という価値観に対する「不寛容」になっているのです。

「寛容」の不寛容とラッセルのパラドックス ―日常に潜む矛盾―|とある法学徒の社会探訪

余談: 寛容における《欺瞞》について

ある種の寛容に《欺瞞》が存在することは、リベラリストの私も認めざるを得ない。 下記の記事は、そのことを考えさせられる。

d.hatena.ne.jp

既にジジェク『「テロル」と戦争』に、2002年の5月に暗殺されたオランダの政治家、ピム・フォルタインの事例が取り上げられている。

「テロル」と戦争―“現実界”の砂漠へようこそ

「テロル」と戦争―“現実界”の砂漠へようこそ

彼はいわゆる右翼的なポピュリストと見られていた政治家なのですが、ジジェクに言わせれば彼は「彼は、その個人としての特質またその(大方の)見解がほとんど完全に政治的に正しい-PC-右翼ポピュリスト」なのです。 彼はゲイであり、多くの移民者と良好な個人的関係を保ち、マリファナの売買や安楽死、売春などを容認した“寛容”な人物でした。 そして「オランダはもういっぱい」というスローガンを訴え、移民の制限を主張して、政党を結成。彼は選挙戦の最中に暗殺されてしまいますが、その政党“フォルタイン党”は26議席を獲得し、議会の第2勢力へと躍進したのです。

そして、特に注目すべきなのは彼の移民、特にイスラム系の移民を制限しようとするときに使うロジックです。 例えば、彼はイスラムグループの指導者とのテレビ討論番組では、フォルタインがゲイであることを不道徳であると激しく詰問する相手のゆがんだ表情がテレビに大写しになった直後、彼はカメラに向かって、「ね、こういうことなんです。みなさんわかりますね」とだけ言って、いかにイスラム社会が非寛容な文化であるかということを示して見せたといいます。 つまり、今までは移民を受け入れる側の主張であった“寛容”という概念を逆手にとってイスラムの後進性を訴えるのです。 彼に言わせれば「イスラム教は時代遅れ。党が移民の受け入れを規制する政策を掲げているのは、イスラム教がゲイやレズビアンを受け入れていないことが理由のひとつになっている」という訳なのです。

さて、この史実をどう考えるべきだろう。私には時間が必要だ。


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藤原 惟

*1:「違う、リベラリストはこういうものだ」と思われている方は、ぜひTwitter, Facebook(友人のみ)やコメントで御意見ください。