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『落語・掛け算』小学校教員の友人へのリプライ

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※ この記事は、Facebookで交流のある小学校教員の友人が書いた投稿に対する返事として書かれたものです。下記の創作落語『落語・掛け算』について寄せた投稿ですので、未読の方はぜひ先にそちらをお読みください。

以下、友人へのコメントです。


僕自身は理系の人間なので、この落語の趣旨はすごく分かります。一方で、それを「数の概念が未熟だったり癖のあったりする小学生」に教えることの難しさも何となく分かるんです。

この話をすごーく要約すると、「数式に意味を与えることの意義と異議」だと思うのです。


まず、大学数学における数学の考え方を、自分なりに噛み砕いて説明します。

大学数学でやることは、実は小学算数と全く逆の方向性を持ちます。

  • 算数では「式に意味を与える」ことを積極的にやります。これを「具体化」と呼びます。
  • 大学数学では「式から意味をはがす」ことを積極的にやります。これを「抽象化」と呼びます。

数学は、式から意味をはがせばはがすほど、その適用範囲が驚くほど広がります。

例えば、中学数学では、りんご3個とみかん5個を「 x=3, y=5」と変数に置き換える(意味をはがす)ことで、ここから先は連立方程式の操作で解けるのです。

そして、意味をはがした式はシンプルなので、例えば「プログラムを組んでコンピュータに解いてもらう」ことも簡単にできます。 ここまで来ると、「りんご」や「みかん」だった「 x=3」や「 y=5」は、もはやプログラミング言語の言葉で書かれた別の概念です。

(おまけ: 実際にプログラムで連立方程式を解いてみました

そして、その結果を人間が使うときは、改めて「りんご」や「みかん」という意味を再び付けるのです。

以上の流れを、理系(特に応用系)ではどこでもやると思います。(ただし純粋数学では、最初から具体的な意味をほったらかしにして研究を進めます。)


理系の人の多くは以上のような背景を経ているので、「数式からは意味を切り離すべき」という信念を持つ人が多いです。だから「非合理的な交換法則の否定」に対してめちゃくちゃ厳しいのです。

「算数・数学教育の出口」である(と彼ら彼女らは自負している)大学・大学院の数学から見ると、科学と反する、半ば「宗教的」な数式の扱いが許せないのです。

ただし、心理学以外の高等教育の人は「小学生の発達心理学・教育心理学」を知らないことがほとんどです。ここが大学数学の盲点です。なので、「宗教的」と揶揄されるような数式の扱いも、教育心理学を踏まえると、その根本の問題意識は簡単に否定できないように思います。

ここでコミュニケーションの齟齬が発生しているのだと思います。齟齬の原因は、数式の扱いを「教育心理学の問題」とするか、「科学・工学の問題」とするかの違いです。


以上、僕が思ったことです。とりあえずの結論だけいうと「教育に絶対の解はない」「子どもの数だけ正解がある」ということでしょうか。

ちなみに定型句として「数学は答えが決まっているけど〜」みたいな言い回しがありますが、僕はそんなことはないと理系の立場から思います。むしろ、大学数学で学ぶ重要なことは、

  • そもそも正解が(文字通り)無限個存在する場合もしばしばある
  • 正解が決まっていたとしても、そこにいくまでの筋道は色々あっていい
  • 正しいだけが数学ではない、主観的な美しささえ評価基準になりうる

ということです。つまり、数学の豊かさや多様性です。

もちろん、全ての教員にそこまでの理解を求めるのはもちろん無茶な話です。他の雑務で多忙なことも存じているので、大変難しい話ではあります……ただ今の子どものうちわずかでも、将来的に数学や科学の魅力に目覚める可能性があるなら、その可能性を潰さず生かすことは(文系出身であっても)教員の責務じゃないかなあと思います。

藤原

関連おすすめ本

結城浩『数学ガールの秘密ノート』シリーズは、中学生〜高校生が読めるレベルの数学読み物として定評があります。やさしく数学の魅力が分かる本なので、文系出身の教員の方々に強くおすすめします。(算数が好きな小学生でも直接読むには難しいかもしれないので、工夫が必要かもしれません。)

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