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サードウェーブ系哲学的ゾンビ

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「偏らない歴史」は存在しない−歴史の主観性について

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Binoculars

globe.asahi.com

この記事はFacebookで友人がシェアしたものですが、これについてのコメントをこの記事で書いてみます。

歴史には主観性がどうしても入り込む

この性質は、高校までの歴史のカリキュラムで教えてくれない、しかし歴史学ではとても重要なことです。

例えば、アメリカ大陸の「発見」。

発見の主語は、ヨーロッパ人*1であるクリストファー・コロンブスである……少なくとも高校までの歴史では、そう習いました。

ところが、「アメリカ大陸発見」という歴史用語はあくまでも、ヨーロッパ人から見た偏った見方に基づくものです。

同じ事実をアメリカ先住民族のインディアンから見れば、それは「入植」つまり侵略です。そこから、ヨーロッパ人によるアメリカの植民地化が始まったのは、歴史の授業で習ったはずです。

このように、歴史は「誰の立場から書かれたものか」が重要になります。この視点を見失うと、(誰か知らないけど、特定の立場から書かれた)歴史を学ぶことが、一種の自己洗脳になりかねません。

現代の歴史学における主観の考え方:間主観性と合理性

現代の歴史学では、様々な変遷を経て、「できるだけ客観的な証拠を元に、歴史を推定しよう」という科学に近いやり方が主流のようです。

ここで重要なのは、

  • やはり主観性は残ること
  • その代わり、約束として「どの視点か」を明確にしておくこと

です。

そこでのキーワードは「間主観性」と「合理性」です。

例えば、多くの場合、日本史は日本からの視点を持ち、中国史は中国からの視点を持ちます。 では、「日中貿易史」が持つべき視点は何でしょうか?

日本史における日中貿易は、高校までの歴史では「日本からの視点」で習いました。 しかし、現代の歴史学では、日本と中国の間に「仮想的な中間地点」を設け、そこからの視点で歴史を描こうとします。これを間主観性と呼びます*2。 それを担保するのが、客観的な証拠からの推論、つまり合理性です。

おわりに

以上のことは、大学受験を終えるまではむしろ邪魔に思えるかも知れません。 しかし、最初に挙げた「歴史にはどうしても主観が入る」という性質は、大学で歴史を学んだり研究したりする場合や、大人が教養として歴史を学ぶ際にはとても重要な前提です。

前提を疑う重要性は、拙著の論理学入門でも強調しました。

www.3rd-p-zombie.net

今後、歴史について考える際は、「誰の立場から書かれた歴史か?」をぜひ考えてみてください。

藤原 惟

参考文献

アメリカ大陸の発見 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%A4%A7%E9%99%B8%E3%81%AE%E7%99%BA%E8%A6%8B

歴史哲学 - Wikipedia https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E5%93%B2%E5%AD%A6

*1:コロンブス以前にも、ノルマン人がアメリカ大陸に上陸していたそうです。

*2:間主観性の言葉とアイデアは、元々は哲学者のフッサールが現象学の中で提案したものです。