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サードウェーブ系哲学的ゾンビ

知る。考える。感じる。想像する。

おはなしのおはなし

「あー、あの、道に迷いましたか?」

「はい、とげぬき島を目指しているのですが……」

「そうでしたか、災難ですね。でもね……ここにあなたはいてはいけない、はずなんですよ」

「よく分からないのですが……」

「大丈夫、ちょっと待っててくださいね」

私は何行かタイプし、F5キーを叩いた。

「よし、通った。何が『小説家になれ!』だよ、もっと『カケヨメ』を見習えよ……」

電子書籍の表示エンジンにバグがあった。とげぬき島を目指していた彼が、見出しを経由して目次に出てしまっていた。

彼は礼をいう機会をなくしたまま、コンテンツの海で何ごともなくおはなしを続けている。

(藤原 惟)

ただ神戸のパンの素晴らしさについて語りたい

2017年の新学期に向けてこういう話が出ています。

「道徳」教科書の初検定 8社すべてが一部修正し合格 | NHKニュース

小学1年生のある教科書では、申請段階では、物語に友達の家のパン屋を登場させていましたが、「国や郷土を愛する態度」などを学ぶという観点で不適切だと意見がつけられ、教科書会社は「パン屋」を「和菓子屋」に修正しました。

これについて、教科書会社は「日本文化であることをわかりやすくするため和菓子屋に修正した」と話しています。

ソースが1つしかないので真偽不明ながらも、これ自体の真偽は保留します。

神戸のパンについて語りたい

ただ、次の疑問を伝えたいために記事を書きます。

「神戸のパンを愛することは、郷土愛ではないのか?」

以下、政治的なことは触れずに、ひたすら「神戸(および兵庫県)のパンに対する愛」を語ります。

(なお、画像の出典について注記がないものは、各項で紹介しているお店からの引用です)

藤井パン 1905年(明治38年)創業

神戸のパンを語る上で欠かせないのが、藤井パンです。

開港の翌年には、居留外国人のための、外国人によるベーカリーが既に開業し、そのうち日本人によるベーカリーも誕生した。1905年、神戸に看板を掲げた藤井パンは、現在は全国に店舗展開をしているドンクの前身。

(引用:神戸・パン|全国粉料理探訪|こむぎ粉くらぶ|知る・楽しむ|日清製粉グループ

現在、藤井パンは「DONQ(ドンク)」と商号を変え、現在に至ります。

DONQ(ドンク) 1951年(昭和26年)改組

www.instagram.com

(↑ 暴力的に美味そうなInstagram公式アカウント。)

ドンク - DONQ -|創業111周年。おいしい焼きたてパンの店

DONQは、先ほどの藤井パンを現代に受け継ぐお店です。

パン屋としては、プチクロワッサンが非常に美味しいお店です。何個でもいけます。普通のパンもどれも美味しく、何度でも通いたいぐらいです。

DONQ(およびその影響を受けるパン屋)の特徴は、「スクラッチベーカリー」にあります。

粉から生地を仕込み、成形して焼き上げるまでの全行程を一貫して行うスタイルを「スクラッチベーカリー」といいます

(中略)

その日の温度・湿度などを考慮し、五感を働かせながら、仕込みから焼き上げまでの全ての工程を行うことにより、新鮮で個性豊かな商品をお客様に提供する事ができるのです。

(引用:スクラッチベーカリーとは|ドンクについて|ドンク - DONQ

なお、特記すべき歴史としては次があります:

  • 昭和29年 1954年
    • フランス国立製粉学校レイモン・カルヴェル教授初来日。国際パン技術講習会開催。日本に初めて本格的なバゲット、クロワッサン、ブリオッシュなどが紹介される。
  • 昭和40年 1965年
    • 4月 東京国際見本市において、ドンクがフランスパン製造を担当。 実演者としてフィリップ・ビゴ氏来日 見本市終了後、使ったフランス製機材をドンクが引き取り、三宮町2丁目にフランスパン 専門工場建設。ビゴ氏もドンクに入社し、技術指導に当たる。

(引用:ドンクのあゆみ|会社情報|ドンク - DONQ より。強調は筆者)

ビゴの店 1972年創業

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フランスパンで有名なビゴの店 公式ホームページ

上記で「フィリップ・ビゴ氏」が出てきたのですが、まさにそのビゴが後に開いたお店です。Webサイトで自ら「フランスパンで有名なビゴの店」と言ってますが、実際その通りなので恐れ入ります。

パンに対して決して妥協を許さず、添加物は一切使わない。 パンは命の糧だから

(引用:BIGOT STORY | ビゴの店

(格好良すぎるやろ・・・)

アクセス:ビゴの店 店舗紹介 | ビゴの店

ちなみに、ビゴから独立した職人のお店紹介というリストもあります。ビゴからもまた巣立っていった職人さんがいるということです。

イスズベーカリー 1946年創業

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イスズベーカリー ホームページ 「神戸マイスターのおいしいパン」

たぶん現在最も有名なお店です。ベーシックなクリームパンから美味しい。

(ちなみに、北野坂を専門学校生が登っていくのですが、その途中で買って食べる学生さんも多いようです。最初に見たときは「なんて贅沢な!」と思いましたが、それだけ「飽きないパン」なのでしょう。それもまた豊かさの一つだと私は肯定したいです。)

20歳の頃からパン作りに携わり キャリアは40余年を数える。

平成10年神戸市からパン部門では初めて「神戸マイスター」の認定を受ける。

(中略)

流行を追うのではなく、暮らしの中で長く愛されるパンを食卓にお届けしたいと信念を持ってパンを作り続けています。

(引用:イスズベーカリー ホームページ)

アクセス:イスズベーカリー ホームページ » 店舗情報

その他のおいしいパン屋さん・スイーツ屋さん

以下は割愛しますが、他にも

など、色々あります。

スイーツもすごいぞ:ユーハイム

もう一つだけ。別記事で紹介しようと思うのですが、「神戸のスイーツ」も歴史があり、美味しいお店もいっぱいあります。その中でも、バウムクーヘンの「ユーハイム」を紹介させてください。

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ユーハイム

青島は日本軍に占領されてしまい、カールは日本に強制連行されてしまったのです。広島の収容所に入ったカールでしたが、1919年、広島県物産陳列館(現在の原爆ドーム*1でたまたま開かれた似島収容所浮虜製作品展覧会で自慢のバウムクーヘンを出品、これこそ日本で初めて焼かれたバウムクーヘンでした。

1920年捕虜生活から解放されたカールは、家族を青島から呼び寄せ、横浜に店を開き、その後、神戸にユーハイム本店を開設いたしました。今から約90年前のことです。

(引用:ユーハイム物語 | ユーハイム、強調と注は筆者)

この後の言葉もまた良いのです。

  • その後新しい店などに押されて売上を落とすこともありましたが、そんな時エリーゼはカールや職人に向かって力強く言いました。「私たちは最高の材料と最高の技術でお菓子を作っています。心配ありません。」と。
  • その後日本経済の成長に伴い、より多くのお客様にお菓子をお届けできるようになりました。しかしエリーゼは、商売繁盛の秘訣は「正直と誠実」と言い続け、純正材料のみ使い、不必要な添加物は使わないという基本理念は変わることはありませんでした。

(引用:ユーハイム物語 | ユーハイム、強調筆者)

なぜ神戸は「パン・スイーツの街」なのか

神戸は「パン・スイーツの街」とよく呼ばれるのですが、それには理由があります。

「神戸の食文化には2つの側面があると思います。

ひとつは土地の背景。神戸には海があって、山があります。食材に恵まれているから、素材のよさを活かした、繊細な味わいの食べ物が多いのが特長です。

もうひとつは、開港を契機にいろんな人たちが神戸に集ったということ。フランス、ドイツ、ロシア、中国、ありとあらゆる国の食文化が入ってきて、長い時を経ながらそれぞれに研鑚を積み、レベルアップを果たしました。

パンや洋菓子にしても、それは同じ。だから狭い街ではありますが、全国に名を馳せた有名店が多いんだと思います」

(引用:神戸・パン|全国粉料理探訪|こむぎ粉くらぶ|知る・楽しむ|日清製粉グループ、強調筆者)

(ブラタモリでも、神戸回の前半で「山から海を見下ろす」というのをやっていましたね。)

京都もパンが美味いらしい

余談ですが、京都もパン文化が強く、実際に「パンへの支出」が2014〜16年度で日本一とのことです*2

仲見さんのツイートから引用してみます。

サンドイッチが美味しいらしく、秘密のケンミンSHOWで、お坊さんがサンドイッチを愛食しているシーンを見かけたりしました。 特に厚焼き卵サンドが有名です。出張の際はぜひ。

京都で見つけた美味しいサンドイッチ20選 - Retty

まとめ

細かいことを抜きにして、神戸にいらっしゃった際は、ぜひ神戸ローカルのパン屋さんでパン(および百貨店のデパ地下スイーツ)を買って食べてみてください。本当に美味しいので。

追記

一言で私の意図を要約された方がいたので引用します。

「パンは郷土料理ですよ」

藤原 惟

*1:元々、原爆ドームが「原爆ドーム」と呼ばれる前の建物(広島県物産陳列館)にも役割があったのです。それは「県内の物産、他府県からの参考品の収集・陳列、商工業に関する調査及び相談、取引の紹介に関する図書・新聞・雑誌の閲覧、図案調製等」でした。(参考:広島市 原爆ドーム - 被爆前のすがた

*2:統計局ホームページ/家計調査(二人以上の世帯) 品目別都道府県庁所在市及び政令指定都市ランキング(平成26年(2014年)~28年(2016年)平均)

眠れない夜に花澤香菜『Opportunity』について語る

ご無沙汰しております。 なんとか確定申告が終わり、その件はゆっくり書きたいと思います。

そのご褒美として花澤香菜のアルバム新譜『Opportunity』を買いました。

(ご褒美を設定することは、かなり確定申告でも大切かもしれません(笑))

Opportunity(初回生産限定盤) (Blu-ray Disc付)

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Opportunity

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寝ようと思って寝れないのもあるので、雑にレビューというか、脳内垂れ流しをしてみます。

自分が声優楽曲にハマるプロセス

僕自身はいつのまにか声優楽曲を好むようになったのですが、その理由はやや複雑です。

整理すると

  • 元々好きミュージシャンがいた
  • そのガチのミュージシャンを本気にさせる声と個性を持つ人が、声優さんに多い
  • その声優さん向けにプロデュースされた楽曲が、結果としてとても良い
  • そのうち声優ラジオを聞き始め、より「個性」(魅力、およびそのギャップ)を知る
    • 普通に笑えるラジオが多いのでハマる
    • この辺で、「アニソン歌手」というジャンル(Ray、TRUE、鈴木このみ、流田Projectなど)を知る
  • 新しい声優さんを知ったり、新曲を知る機会が増える
  • そのサポートメンバーが、やっぱりガチだったり隠れた才能だったりする - 以上をサイクルとして繰り返す

というわけで、沼です

ガチのミュージシャンを本気にさせる歌手・花澤香菜

そういった経緯で、実は僕自身は花澤香菜のことを「歌手(あるいはラジオ『花澤香菜のひとりでできるかな』の人)」として比較的認識しています。

一方、通称「日本一忙しい声優」と呼ばれるぐらいに、若手〜中堅声優の中でも稀有の才能を持つ声優さんとしての方が有名でしょう。声優さんに詳しくない方も名前ぐらいは聞いたことがあるかもしれません。

透明感があり、柔らかいボイス。それはアニメだけでなく、数々のミュージシャンを魅力するのです。

その結果、どうなるか?

ミュージシャンからの「花澤香菜の声でぜひ歌ってほしい!」というラブレターが、楽譜や歌詞という形でやってくるのです。

一例として、『Opportunity』に参加したメンバーは

  • 北川勝利(ROUND TABLE)
    • アルバム自体のプロデューサー
    • 過去に『星空☆ディスティネーション』もプロデュース
  • ミト(クラムボン)
    • デレステ楽曲『Flip Flop』の人
  • 沖井礼二(TWEEDEES、元Cymbals)
    • 以上の三人は、声優楽曲に度々提供しているが、サブカル寄りの音楽を好む人ならどこかで知るバンドの人だと思う
  • 山崎ゆかり(空気公団)
  • 秦基博

など。やや偏りがあるので「全然知らない」という人はいると思われますが、とにかく「ガチな人揃い」であることは間違いないです。

作詞家・花澤香菜

ところで、花澤香菜はこのアルバム『Opportunity』で、さらに別の顔を見せます。

同アルバムには『ざらざら』(シングルもあり)が収録されています。これは、

  • 作詞:花澤香菜
  • 作曲:秦基博

という、稀有な楽曲です。

 せつなくなればせつなくなるだけ  くやしいけど 生きてるって思う

 ざらざらした 思い出の砂は  でもどこかで 生きてるって思う

ちなみに、「なぜ秦基博なのか?」については、明確な経緯があるようです。

花澤香菜「ざらざら」インタビューによれば、『言の葉の庭』で自ら声優として演じた「ユキノ先生」を意識したとのこと。

 私、歌詞を書くときは内側内側に入っちゃって、あまり明るい言葉をチョイスしない傾向にあるんです(笑)。自分の内面と向き合おうとすると、どうしても暗くなってしまう。

この「自分の内側」を捕まえる繊細な感覚と、言葉で表現する才能は、他の本業アーティストにも匹敵する才能だと私は確信しています。

(僕自身が、こういう「自分の内側」を描く作品が好きなのも大きいです。)

とりあえず聴け!

このアルバム『Opportunity』は、全曲試聴動画が公式に公開されています。まずはちょっとお耳を寄せてみてはいかがでしょうか。

良い音楽とともに、良い人生を。

藤原 惟

弔うことは、思い出すことである。— 1.17 阪神淡路大震災について —

昨年12月に、私は再び兵庫県民になった。

とはいっても、大阪からの引越なので距離はそんなに変わらないが、しかしアイデンティティとしてはかなり違う気がする。

そして今年も、あの日が巡ってきた。


阪神淡路大震災当日『おはよう朝日です』

私と震災

幸いにして、私の住んでいたところは被害が少なかった。とはいえ、「テレビがテレビ台から飛び出した」程度には、それなりに揺れた。

それから数年経ち、私は神戸市・長田区で生まれた育った友人と出会った。彼の家は本当に根本からなくなったようだった。その記憶を語ることは彼自身もあまりないが、物静かな彼が心を揺るがすほどのことであったらしい。

ちなみに、長田区は見違えるほど美しくなった。かつてあった商店街や街並みすら忘れさせるほどに。

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(新長田駅若松町、1995年1月18日)

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(JR新長田駅前、2006年)

※ 以上は 阪神・淡路大震災「1.17の記録」 より(ライセンス: CC-BY)。

弔うことは、思い出すことである。

ここで「弔う」ことについて考えてみたい。まずは参考のために、あるエッセイを引用しよう。

「弔い」は「人の死を悲しみいたむこと」であり、「悔やみ」は「人の死を惜しんで、とむらうこと」(いずれも岩波国語辞典)、何やらよく似ている。だから「友人の死を弔う」とも「友人の死を悔やむ」とも言う。いずれも「葬式」の意味でも用いられる。

 だが、私の感じでは少し異なる。 「弔い」は死者のために遺された者のなす行為であり、「悔やみ」は遺族に対してなす行為ないしは言葉であるように思う。これはどれだけ客観性をもつか、はなはだ自信がないが、私にはニュアンスの違いがある。  葬式とは元来この2つの意味があったのではないか。つまり死者に対して悲しみ惜しむことと、遺族となった家族の心情をを慮る、という2つの面である。

(出典: 弔いと悔やみ(『SOGI』通信 No.30、表現文化社)

一方、私は「弔うことは、思い出すことである」と考えている。

これは、私の友人である青の詩人が、志半ばでこの世を去った際に考えたことである。

この「思い出す」という定義は、先の引用にあった「死者のために遺された者のなす行為」にも当てはまる。その意味で、大きく外れてはいないと思う。


なぜ我々兵庫県民は、1月17日が来るたびに震災のことを思い出すのか。それは、あの日なくなった方を思い出すためであり、あの日から続く辛かったことや嬉しかったことを思い出すためでもある。

だから、我々は5時46分に合わせて黙祷する。それができない人も、それなりに思いを巡らせる。ただ「思い出す」ことが大切なのだ。

(なお、黙祷は強いるものではない。強いたところで意味がない。「自ら祈る」ことでしか意味をなさない行為である。)

最後に

この曲だけはどうしても紹介したい。

『しあわせ運べるように』


復興のシンボル曲『しあわせ運べるように』~神戸から東日本、日本各地、世界へ~

この曲は阪神淡路大震災の復興を願って作られたものである。神戸では毎年歌い継がれてきたが、東日本大震災の際には歌詞を変えて更に広められた。

どのように歌われ広まったかは、「しあわせ運べるように」公式サイトを直接ご覧いただきたい。

藤原 惟 2017.01.17

「Fast alone, far together.」だから仲間を作りたい

日本につけるクスリ

日本につけるクスリ

  • 作者: 竹中平蔵,安部敏樹
  • 出版社/メーカー: ディスカヴァー・トゥエンティワン
  • 発売日: 2016/12/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
  • この商品を含むブログを見る

友人の安部敏樹という男による、竹中平蔵氏との共著・『日本につけるクスリ』。

その書評をしたいのですが、全体を書評できるほど読めていません。そこで、彼との出会いを簡単に振り返り、巻末「おわりに」を簡単に書評しつつ、最後に自分の「far together」したいことを列挙したいと思います。

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初詣ベビーカー論争におけるもう一つの視点:そもそも「ベビーカー参拝の作法」がないからでは?

Oyama Jinja Shrine

2017年早々、SNSで次のような看板がある神社に掲げられたことが報告されたことがきっかけになり、「初詣にベビーカーでお参りすること」の是非が各所で激しく議論されています。

『ベビーカー利用自粛のお願い』

年末年始は境内混雑のためご入門をお断りする場合がございます。

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